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毎日新聞 熊野版 2010年4月15日 
「朝鮮人差別の墓石戻る」

■朝鮮人差別の墓石戻る
 熊野
 1926年に木本町(現熊野市木本町)で亡くなり、差別的な文字が刻まれた朝鮮人の墓石2基が14日、大阪市浪速区の大阪人権博物館から熊野市木本町の極楽寺に戻った。墓石側面には朝鮮人を差別する「鮮人」の文字があり、同寺の足立知典住職(41)や関係者は、墓石を人権教育のために役立てる。 【汐崎信之】
 墓石は土木作業に来ていた朝鮮人労働者たちと住民たちが衝突した「木本事件」で犠牲となった2人をまつる2基で、朝鮮名でなく日本名が刻まれ、極楽寺に安置されていた。日本が植民地支配のため朝鮮人に日本式氏名への改名を進めた創氏改名以前の貴重な資料として、博物館が95年から展示し、寺には代わりにレプリカを置いていた。
 同博物館の文公輝主任学芸員は「墓石の名前は2人が働いていた作業現場で会社側が便宜上、付けていた名前ではないか」とみている。
 墓石が戻るきっかけは07年9月に尾鷲市の小学6年生が学習に来た際、足立住職に「どうして本物がないの」と語った素朴な疑問。足立住職は「本物が地元にあることが教育のためになる」と同11月に大阪人権博物館に返還を求めていた。
 この日は、関係者ら8人が参加し博物館の乗用車で運んだ墓石とレプリカを入れ替えた。

 【写真】大阪人権博物館から戻ってきた墓石の設置作業をする足立住職(奥)や文主任学芸員(手前中央)ら=熊野市で
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