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『紀南新聞』(紀南新聞社・和歌山県新宮市) 2008年11月29日
「木本事件で虐殺」
2人の朝鮮人を追悼

 1926年に木本町(現・熊野市)で発生した木本事件の2人の朝鮮人被害者を追悼する集会がこのほど、現場近くの木本トンネルそばの高台に建てられた追悼碑前であった。関係者など約20人が出席し、朝鮮の酒をささげるなどした。
 「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・「相度)の追悼碑を建立する会」が碑を建てた15年前から毎年この時期に行っている。
 同会の佐藤正人さんが、これまでの経緯を交えて「歴史的事実をはっきりさせる必要がある。碑建設で(朝鮮人への差別を検証する)根拠地が出来たとおもう。これからも皆さんと一緒に20年、30年と運動を続けていきたい」などあいさつした。献杯したあと、参加者1人ひとりが思いを述べあった。
 当時、同町では朝鮮人を含む約200人の労働者が、木本トンネル工事に従事していた。事件は、同年1月2日午後10時ころ、「木本明治座」で1人の朝鮮人が日本人に刀で切り付けられたのが発端となった。同会によると、現場では騒ぎが収まったが翌3日になり、日本人の集団が作業員宿舎を襲撃し、仲間を守ろうとした李さんと制止に向かった「さんが虐殺されたという。
 1983年に刊行された旧熊野市の「市史」は中巻で「木本トンネル騒動」として取り上げて、2人の殺害を「素朴な愛町心の発露」と記載した。同会や遺族の申し入れを受け、同市教育委員会は1990年に削除と訂正の文書を購読者などに送ったが、同会の竹本昇さんは「市の関係機関の所蔵する市史にも訂正されていないものもある。単なる字句の削除、訂正でなく、事件のとらえ方そのものを見直すべき」と話している。

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